かわきた第249号(2014年夏号)掲載「川崎の自然をみつめて」
生糸文化を想い起させる天蚕・ヤママユ

かわさき自然調査団 岩田臣生

 養蚕は5000年の歴史があり、完全に家畜化された昆虫のカイコを飼育して、その繭から生糸を採取する技術です。この蚕はカイコガ科のカイコガ(蚕蛾)です。
 日本に養蚕の技術が伝来したのは、日本三代実録によれば、西暦195年に秦の始皇11代の孫功満王(こまおう)が渡来して日本に住みつき、蚕の卵を奉献したとされ、豊浦宮(現在、山口県下関市の忌宮神社)が蚕種渡来の地とされています。
 産業としての養蚕は、江戸幕府が養蚕を推奨したことによって良質な生糸が生産されるようになり、生糸は重要な輸出品になりました。
 明治になって日本の生糸生産は隆盛期を迎え、1872年(明治 5年)に群馬県富岡市の 旧官営富岡製糸場(片倉工業兜x岡工場)が稼働し、外貨を獲得できる近代的産業として富国強兵の礎を築くことになりました。この富岡製糸場が今年6月に世界遺産に登録されたのは記憶に新しいと思います。
 生糸生産を支える養蚕は同時に農家に現金収入をもたらし、「お蚕様」と呼ばれていました。
 しかし、1929年の世界大恐慌、1939年からの第二次世界大戦によって輸出は途絶え、更に1940年にはナイロンが発明され、養蚕業はほぼ壊滅しました。
 その後、高度経済成長期を経て、1970年代にはかなり回復しましたが、現在では非常に規模の小さい産業となっています。
 近代産業としての養蚕による生糸は白色ですが、家畜化されていない野蚕から絹糸をつむぐと有色の野蚕絹がとれ、この野蚕絹の文化も同じぐらい古い歴史があります。その野蚕としては、クワコ、ヤママユ、ウスタビガなどが知られています。
 野蚕の中でも、天蚕と呼ばれるヤママユの繭は家蚕よりも光沢があり、張度が強く、緑がかった薄茶色の繭で独特の気品ある生糸をとることができ、珍重されています。
 ヤママユは卵で越冬し、コナラ、クヌギ、カシワ、シラカシなどの新葉が見られる4〜5月に孵化し、幼虫はこれらの葉を食べて、8〜9月に羽化し、短期間に交尾・産卵して命を終えます。成虫の命は短いのですが、それを裏付けるように、口は退化していて何も食べられません。
 ヤママユの分布は北海道、本州、四国、九州で、幼虫の餌となる落葉広葉樹の林に棲息しています。
 川崎で落葉広葉樹林といえば、普通は雑木林です。そして、コナラ・クヌギ群集が典型的な雑木林です。ですから、8〜9月の雑木林ではヤママユに出会えるかも知れません。
 実際、9月13日の里山倶楽部Bの時には、参加者が「大きな枯葉のようなものが落ちている」と言って、ヤママユ♀を見つけました。(写真)
 このヤママユは産卵させた後、標本として川崎市青少年科学館において収蔵管理されることになりました。
 野蚕の飼育では、「山つけ」と云って、春、コナラやクヌギが芽吹いたところに卵をつけて、その木で幼虫を育て、繭をつくったら採集するという方法がとられていると思います。
 これも稲作と同じくらい古い日本の文化です。このような文化があることを、川崎の子どもたちにも伝えたいと思ってしまいます。
 蛾は嫌いという人が多いと思いますが、ヤママユは大型の美麗な蛾というだけでなく、養蚕という文化とともに生きている生物であり、それが川崎の雑木林にも棲んでいるということに、少なからず、浪漫を感じませんか。

 なお、この連載読物「川崎の自然をみつめて」は、今回で終了させていただきます。2007年11月号(かわきた211号)から始まり、7年間、40回も続けさせていただき、川崎の自然についての情報提供ができたことに感謝いたします。

この文章は、かわきた第249号 2014年夏号に掲載されたものです。
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